少し前にガラケーが使えなくなるとか草刈りで腰が痛いとかで騒いでいた母が、このところ憂鬱そうに日々を過ごしていました。
母は、ご近所さんには品のいいお婆ちゃんに映るようですが、普段はどちらかというと能天気で、自由奔放というか我が道を行くというか自分は正しいと思って生きてきた人です。
またモノにあまり拘りがなく、自分が不要だと思うと人に譲ったり、捨ててしまう癖があります。
それはそれで世間様に迷惑さえかけなければ問題はないのですが。
母にとっては孫娘、私にとっては姪っ子夫婦が近所に引越しをしてきたので、引越し祝いを持って遊びに行ったとき母の話しがでて、姪っ子は口を尖らせてモニョモニョしているので、何かあったのか尋ねてみると、ばばにはしばらく顔を合わせていないとのこと。
どうも母と姪っ子は、ちょっとしたことから口論となったらしいのです。
原因はというと姪っ子が今は使わなくなったベビーカーシートを第二子ができるまでと母に預けたのですが、シート部分が汚れてしまったので捨ててしまったらしく、勝手に捨てたと怒っているのでした。
母も姪っ子に一言伝えればいいものを、また良くない癖がでてしまったようです。
数十年前に遡りますが、私がまだ学生だった頃に初めての海外旅行で撮ってきた写真や土産の雑貨を袋に入れて部屋の隅に置いておいたら翌日無くなっており廃棄されていたことを思い出しました。
悪気があって廃棄していないことは分かるのですが、不用品と思い込んでしまう、何故そう思ってしまうのかは不思議です。
何十年経ってもこの人の癖や性格は変わらないのだと何気に思いながら、母に姪っ子から預かったものを何故処分したのかを尋ねてみました。
すると汚したのは母でないようでしたが、処分したのは母ということでしたので、そこが問題と言って聞かせても母なりの理由と正義があって間違ったことはしていないという姿勢です。
では、何故ここのところ憂鬱そうにしているのかを尋ねてみると孫娘が分かってくれないからと。
これではいつまでたっても平行線のまま過ごすことになりそうなので、「終活」について話をしました。
何でもそうだと思いますが、「終わり良ければすべて良し」と途中まで良い人と言われても最後に悪い人で終わったら良い人はなかったことになってしまうのは寂しくはないか。
これで少しは認識できたようで孫娘に連絡していました。
根は良い人なのに「天邪鬼」が時折り顔を出すのが玉にきずというところです。
とりあえず母と孫娘のケンカは何とか収まったと思いますが、「終活」については、言ってはみたもののどういうタイミングで何を考えるものだろうと自分に当てはめてみてフッと気にかかりました。
とりとめない話を最後までお付き合い頂き有難うございました。
自分自身の終活についても考えてみるタイミングなのかもしれないと啓示的なものを感じました。